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 日本の近代化産業は明治時代に始まりました。それは西洋の技術を学び、追いつき追い越せの勢いであり、絶えず改良に改良を積み重ね、今日の技術立国を樹立しました。この過程のなかで技術の成果となる施設は絶えず更新されてきました。
 したがって、施設が使われなくなると「残骸」や「異物」として放置されるか、あるいは潰されて新たな施設に生まれ変わりました。このため、気が付くと、明治時代以降の蓄積を再発見する機会はほとんどなくなりました。
 しかし、昔の街並みが懐かしさと原点を探す視点から脚光を浴びるようになると、鉱工業においてもこの考え方が広がってきました。近代化の過程を振り返るには恰好の素材となり得るからです。
 いわき市においても、石炭産業の名残があちこち残っていますが、これまでは「遺物」の域を出ることはありませんでした。しかし、街並みがそうであったように古ぼけた「遺物」は「遺構」、さらに「遺産」に変換される要素はあるわけです。
 これをいわき市においても再発見して輝きを持たせ、市の新たな活性化にむすびつけ、いわきを訪れる人にも知ってもらおうとするのが、この試みなのです。さあ皆さんも遺産づくりや遺産めぐりしながら、古くて新しい「いわき」を味わってみませんか。


  石炭産業と炭鉱の近代化
 日本の新しい時代は外国からの圧力とそれにどう対応するか、という課題解決に向けてスタートしました。外国の植民地化を回避するためには、国が外国に負けないとうに富国強兵(国を富ませ、兵力を強めること)と殖産興業(産業振興で財産を増やすこと)を積極的に進めることでした。
 国の国策ともいえる工業化には、動力の機械化や熱エネルギーの確保が必要になり、江戸時代末期に「燃える石」といわれた石炭は、熱エネルギー源として注目されました。
 常磐炭の場合、筑豊(九州北部)や北海道に比べ熱エネルギーは低く、商品化は遅れましたが、明治10年(1877)に勃発した西南戦争で筑豊からの石炭が途絶すると、東京の工業地帯に近いという理由から商品化が高まっていきました。
 炭鉱開発は、石炭採掘を産業の域まで持ち上げ、ここから関連産業が生まれ、人口増加や消費拡大を呼び込み、生活向上が図られるようになっていったのです。


  脚光を浴びるいわきの石炭産業遺構
 近年、近代産業遺産の世界遺産への登録などを背景に、いわきの石炭産業遺構への関心が高まっています。語り継ぐべき貴重な地域の財産であるという認識により、これまで常磐炭田地域の巡検(現地観察調査)や炭鉱・石炭に関する研究発表などの活動が進められてきました。
 一方、全国的にも各地に点在する産業遺構を遺産として認めようという動きが活発化したことから、経済産業省では、「常磐地域の鉱工業関連遺構群」が近代日本の重工業化と地域経済の発展を支えたとして、その功績を評価し、歴史的、地域的なストーリー性(近代史の歩みが証明できる)の高い「遺産」群として認定しました。また福島民友新聞社が県内の遺産100選として当地域の石炭産業遺産群を認定するなど、大きな関心と注目を集めるようになっています。


  常磐炭田と産業遺構
 常磐炭田は昔の常陸国から磐城国にかけて石炭が採掘される地域の総称で、「常」と「磐」を一字ずつ取って「常磐」と称したもので、北は福島県双葉郡の富岡町付近から茨城県日立市北部付近まで、東西約5kmから25km、南北約95kmに及ぶ石炭分布地域を指します。
 石炭層は太平洋と平行して連なる阿武隈高地の東縁に石炭層が露頭(地表近くに分布)しており、ここから約7〜10度の角度で深度を強めながら海に向かって傾斜しています。江戸時代末期から昭和60年(1985)まで約1世紀の間、この石炭層を採掘するために大中小・零細の数多くの炭礦が進出し、最盛期の昭和20年代半ばにはその数130以上を数えました。
 昭和30年代(1955〜)以降、炭鉱は安価な石油に押され相次いで閉山。炭鉱跡地のうち市街地に近い場所では再開発で姿を消しましたが、山間部や交通の便の良くない場所ではそのまま放棄され、あるいは炭鉱住宅のように一般住宅に転用されながら現在でも使用されている場所もあります。
 具体的には、炭鉱は坑口、選炭場、ずり山、鉄道、発電所、山神社、炭鉱住宅など、生産現場から居住に至るまで、一つの社会として成り立っており、産業としてはすでに役目を終えていますが、これら構造物が今もあちらこちらに姿をとどめているのです。


  いわきヘリテージ・ツーリズム
【ヘリテージとは何か】
平成5年(1993)、国は重要文化財として新たに「近代化遺産」という種別を設け、さらにこの細分類として「土木」、「交通」、「産業」の三種類を設けました。これは日本が平成4年(1992)に世界遺産条約を批准したことにより本格化しました。
 このうち産業遺産、ヘリテージは、産業の形成と発展に重要な役割を果たした文化的存在を総称したもので、機械、道具、工場施設、土木建築物など、現在に残されている歴史的意義を持つ物的資料を総称しています。これまで廃れた産業の残した「遺物」と呼ばれ、あるいは経済的価値はともかくそのカタチとしての物語を秘めた「遺構」は時代を経て、過去・現在・未来を結ぶ「遺産」へ進化していったのです。
 「遺産」という概念は、日本では「残されているもの」という過去形での捉え方が強いのですが、その考えの発祥地であるイギリスなどでは「後の世代に伝えるもの」という未来形の思考で捉えられています。これはヨーロッパ社会における都市形成と構造・景観への理念ー未来への今の私たちの責任ーという意識を反映しているからといえるでしょう。

【旅の変化とツーリズム】
 近年、旅は観光旅行のような団体的、行動的、酒宴的な形態から、温泉(癒し系+景観)、魅力ある宿泊施設(雰囲気+食)、都市や里山(体験・交流・再発見)、レクリエーション+スポーツ(体験・チャレンジ参加)などのテーマ追求による、しかも個人もしくは多様な組合せによるものが主流となりつつあります。
 その傾向がもっとも強く出ている旅が「○○ツーリズム」や「企画・体験型旅行」の旅・観光の多様な形態の成立です。それらの例として、エコ・ツーリズム、グリーン・ツーリズムなどがあり、私たちが提供しようとす「ヘリテージ・ツーリズム」(産業遺産の学習と地域との交流旅行)もその動きの一つで、その旅の視点は地域に根ざした人間の諸活動の発見学習にあります。


  いわきヘリテージ・ツーリズムの楽しみ方
「いわきヘリテージ・ツーリズム」は関東、京浜工業地帯に近接しているという地域性を活かし日本の工業化、エネルギー産業の発展に貢献してきた、常磐炭田における石炭産業の栄枯盛衰について、ストーリー豊かな視点で産業遺産を考えようとする旅です。
 後述するように、石炭層と同居する「温泉」は石炭産業と不可分な関係にあり、いわきの海の幸・山の幸である「食」は石炭産業に多く供給されました。スパリゾートハワイアンズなどの「観光」は石炭産業と共存することにより、その魅力を増してきました。そして、なによりも、いわき市は石炭産業によって支えられ、そこから派生したさまざまな事象が今日を築き上げているのです。
 いわきを訪れた皆さんは、日本といわき地方に大きな変容と発展をもたらした石炭産業の遺産を体感していただくとともに、いわきのさまざまな時、所、人、とのふれあいを通して先人の苦労と希望を吸収し、結果として実り豊かな旅になりますよう今願いたします。


  常磐炭田史研究会といわきヘリテージ・ツーリズム協議会
【常磐炭田史研究会】
「常磐炭田史研究会」は、いわき地方を含む常磐炭田内の地域発展に大きく寄与し、かつ産業、地域、文化、社会など多様な分野に影響をもたらした石炭産業や炭鉱について、総合的に研究している任意団体で、平成15年(2003)に創設しました。
 会員は歴史、地理、考古、地質、教育、文化、社会、労働、経済、交通など、広範囲な専門分野に関わる地域研究者、教育関係者、行政担当者、炭鉱従事関係者など約90名で、具体的には研究調査の成果の発表、写真展などの企画展の開催、炭田地域の巡検調査、機関誌「常磐炭田史研究」の発行、講演会の開催、関係記録の収集記録化などを計画的に実施しています。

【いわきヘリテージツーリズム協議会】
「いわきヘリテージツーリズム協議会」は、いわき市に点在している産業遺産を全国の皆さんに紹介することにより、学習・体験活動という新たな産業遺産(ヘリテージ)の観光(ツーリズム)を通じて、いわきの歴史や文化、まちづくりや近代化産業遺産、食と海と山と空と温泉を思う存分楽しんでいただきたいという提案・交流を推進することを目的として、平成19年(2007)に設立しました。
 会員は常磐炭田史研究会をはじめとする地域研究団体や学校教育関係者、観光関連団体・企業、いわき市などの公的な各機関、などで構成されております。



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 いわきヘリテージ・ツーリズム協議会
 〒972-8321 福島県いわき市常磐湯本町向田3-1 いわき市石炭・化石館内 TEL0246(42)3155 FAX0246(42)3157
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